観光都市下関へのアプローチ

関門海峡を間に下関市と北九州市

海峡俯瞰図

観光誘導のメインテーマは関門海峡

郷土愛を育むために子供達に定期的な教育を施し文化、伝統などの継承に触れさせる施設や機会をつくる事が重要です。しかし、これを実行するには時間がかかり過ぎます。伝統や文化などなくても観光都市は存在しています。そのいい例がシンガポールです。いろんな国からの民族が入植者として集まって貿易の中継港として発達した状況や、周りが海で囲まれていることなど類似点が多くあるようです。都市の規模は違いますが何よりもシンガポールに負けない日本の歴史の転換点の舞台になった「関門海峡」があることをまず一番にほこりに思い、新たな可能性を再発見できたらいいと思います。この海峡で日本の武家社会が始まる出来事があり、北前船の寄港地となり日本の物流の基地となり、さらに日本の近代化に関わる事件がこの海峡でおこったのです。これら、大きな時代の流れを変えたこの海峡を観光の最大のテーマにしないわけにはいきません。

日本の歴史を変えた国際海峡「関門海峡」
関門海峡01

新たなるインフラの整備

関門海峡に点在する史跡や施設を線で結び、各エリアを一体化することがとても大事です。そのために新しいインフラになるゴンドラによるロープウェイ構想がのぞまれます。そうすれば車で移動しない観光客や海外からの観光客の利便性が上がり、スムーズに観光地を回ることができます。それにより観光や買い物、食事がゆったりできれば経済効果が上がります。横浜ではヨコハマエアーキャビンという名前ですでに運航されています。

 そこで、最初に観光の目玉となる唐戸、火の山エリアを一体化する為に火の山ロープウェイ乗り場まで伸ばします。そして唐戸市場隣接にロープウェイ駅を兼ねた大型駐車場をつくり収容能力をあげ唐戸、火の山エリアの渋滞を避ける必要があります。そして火の山エリアの自然を排気ガスから守ることができます。さらに開発されてない火の山にグランピング施設、トレッキングコース、ドッグラン、アドベンチャーフォレスト、ジップラインを整備し体験型観光の魅力を引き出します。火の山には車が入いれないが眺望が非常に良い空家、空き地が多くあるのでコテージ風ホテルに変貌させ有効利用をはかりることができそうです。

 次に、海峡唐戸駅~海峡ゆめタワー駅をつくり、JRや関釜フェリーからのアクセスの利便性とゆめタワーの利用促進をはかります。さらに、海峡ゆめタワー駅から日和山公園駅のラインができれば、車が乗り入れできない市街地の空家、空き地をコテージ風のホテルに変貌させ空家問題を解決できる糸口にできるかもしれません。なによりもゴンドラは利用数に応じて増減させることが可能です。

 

シンガポールの観光地を結ぶロープウェイ
シンガポールのゴンドラ
ゴンドラ ロープウェイ路線構想
新ゴンドラ路線
ゴンドラからの俯瞰したイメージ
ゴンドラからのイメージ

AR(拡張現実)による観光エリアの一体化

関門海峡沿いに点在している史跡や施設をAR(拡張現実)スタンプラリーという手法を使いロープウェイ駅周辺や観光史跡でポイントが得られたり失うようにします。ポケモンGOのような仕組みで現実の風景とVRが合体したような仕組みです。関門海峡で馬関戦争に出てきた軍艦が現れ、砲撃を受けたときポイントを獲得するために、壇ノ浦や亀山砲台跡、火の山砲台跡で対戦ができたりします。また関門海峡に現れたクジラを捕鯨したり、艶やかな衣装をまとった上臈と記念撮影ができたり、宮本武蔵や佐々木小次郎とお手合わせができたり、源平船合戦で沈んだ三種の神器を探すゲームなど発想は無限大に広がります。点在する史跡や施設、景観を面白く体験型ゲームのように仕立てポイントを得ることにより宿泊や飲食、施設利用の割引ポイントにすれば観光コースがネットワークされ活性化できます。これらをアピールし、宿泊できる観光都市再編の起爆剤として取り組むのはいかがでしょうか。

ARスタンプラリーのイメージ
壇ノ浦砲台ARイメージ
ARスタンプラリーのイメージ
ARイメージ

情報発信基地となるミュージアムの創設

唐戸界隈は日本の廓の先駆けとなった稲荷町があり、廓の中で一番有名で先帝祭のさきがけとなった大阪屋の跡地に現在は閉鎖された旧東京第一ホテル下関があります。日清講和条約では伊藤博文、維新には坂本龍馬や高杉晋作、山縣有朋などの盟友達が通ったであろうこの妓楼の跡を単なるホテルとして利用するのはもったいない話です。歴史的な転換期のきっかけとなった源平船合戦、日清講和条約、馬関戦争、稲荷町のなりたち、国際海峡の浚渫整備事業などの海峡の工事の経過や関門海峡の地質学的な成立ちなどをテーマにした総合ミュージアムを整備したいところです。そしてARスタンプラリーの魅力を理解させ観光都市の見せ方をアピールすることが望まれます。

 そして上部の宿泊施設は下関の移住体験宿泊施設として利用させれば下関のことを理解する為にも観光するにも利便性の良い施設として運営できます。そうすれば唐戸界隈に人の流れをつくる核となることができ、近隣の街を活性化させることができそうです。そして、その通りぞいの北浦街道にはふくのランタンを連ねて街灯にして、ふくの街をアピールしインスタ映えをはかることでSNSへの拡散をはかることが望まれます。

大阪屋の跡地に立つ利用されていないホテル
大阪屋跡
源平船合戦で関門海峡に入水した安徳天皇陵 赤間神宮(先帝祭のメイン会場)
赤間神宮
ふくランタン通りイメージ
ふくランタン通り

唐戸市場隣接の乾式ドックとあるかぽーと

下関には有効利用をはかれていない施設がたくさんありますがその一つが唐戸市場隣接の乾式ドックです。この施設は全国的にも数えるほどしか残ってなく、かつて下関では汚いため池になり何のアピールもすることなく、今はこの歴史的建造物を砂で埋めてしまっています。同じ乾式ドックが横浜にありますが、ドックヤードガーデンとして独特の形状を活かし、船型の石壁に沿って映像を投影する日本初の180度体感型プロジェクションマッピングを実施したり、音楽コンサート等のイベントにも使用され横浜みなとみらいの人気スポットになっているようです。そこで、このドックを復活させ中に長州藩の軍艦「庚申丸」を再築するか、2023年現役を終える日新丸を停泊させて下関のふくやくじら、北前船、捕鯨などの産業会館的なミュージアムにしてアピールするのはいかがでしょうか。

 関門海峡は一日平均600隻もの船舶が航行している難易度の高い航路として有名なのでVRを使い航行の疑似体験ができる施設をつくるのも面白そうです。また、あるかぽーとはもともと国際クルーズ船の寄港する埠頭として建設されたと聞いていましたが定期的に寄港するクルーズ船はありません。それは何千人もの乗船客を満足させるキャパの観光地がないからです。ここに寄港させることができたとき本当の観光開発が成功した証しになり、国際的な観光都市として成功し、その莫大な経済効果を享受できるはずなので、それを目指さないわけにはいきません。また、あるかぽーとにある潮だまりが有効に利用されていないばかりかゴミが溜まり、そのメンテナンスが無駄になっているので釣り堀にリノベーションし、釣った魚を刺身にしたり、握りずし体験やBBQコーナーを設けて体験型のさかながおいしい街のアピールになることを考えてみるのも面白そうです。

乾船渠(乾式ドック)の埋められた跡地と以前の写真
乾船
横浜の乾式ドック(ドックヤードガーデン)
ドックヤードガーデン

もっと有効利用できる海の資源

下関には効率よくつかわれてないものが史跡や施設以外にも「ふく」「くじら」「うに」「あんこう」などの海の資源です。下関の知名度が高いのは間違いなくふくやクジラのおかげです。しかし、ふく屋の通りやクジラ通りがないばかりか専門店や庶民が気軽に食べられる店もあまり見かけません。なぜそうなってしまったのでしょうか。どれも高級食材で大都市の高級割烹や料理店用のもので、食べ方に創意工夫がなく庶民が気軽に食べられるお店も少なく、なじみがなくなってしまっています。さらには、衰退する経済の中で市場が縮小し同業者を排除する気質が強くなり同じものを扱う店をきらうどころろか飲食業が集まることにも否定的です。自分のやってる店さえ儲かればいいという発想です。

 30年前、唐戸から赤間町にのびる通りに、ふくを模した街灯をつくり「ふく通り」をアピールしたらどうかと意見を出したらどこのふく屋からたのまれたのかと大変非難されたことがありました。ふく屋が儲かったらそれが循環してくるという発想が希薄です。街づくりにおいても協力することに消極的で、観光においても自分の業種には関係ないので興味をしめしません。ふくやクジラなど海の資源の商品開発や調理の方法も開発する余地は、まだまだたくさんあるはずです。これらが観光開発の伸びしろになることは間違いありません。高級な食材をB級グルメでも楽しめるように市内の大学や高校をまきこんでコンテストなどをしていくのも一案です。

亀山八幡宮の世界一のふくの像
波のり河豚

観光都市のシンボル

昨今はインスタ映えさせていかにSNS上で拡散させるかが勝負のポイントになっています。国際的に有名な観光地にするためにシンガポールにもマーライオンがその役目を担いこれを撮らない人はいないしマーライオンが写っていればイコール、シンガポールのイメージになっています。それならば下関でもこれに負けないインスタ映えする波乗りふくが潮吹きする像や、顔がトラフグで体がクジラのホエール河豚が潮を吹く像をつくり、唐戸市場近くに建造するとSNSで広まり観光都市のシンボルとしてアピールが効果的にできそうです。

シンガポールのシンボル マーライオン
マーライオン

情報発信と駐車場の整備

下関市民は情報発信が極端に苦手なので、市が率先してYouTube、インスタなどのSNSを使ったを情報発信を専門家などを呼び指導し、補助金やコンペなどを行い成果を競わせる取り組みが有効ではないでしょうか。下関にくる観光客用の駐車場にしても市営駐車場ですら発信が弱いうえ本来は訪れてきた人のためにあるべきなのに土日祝日には住民用の月ぎめ駐車場となっています。外部からの利用を妨げていて本来の施設の役目から外れた利用になっています。赤間、細江市営駐車場を観光客が利用しやすいように現在の月ぎめ契約を平日のみに変更する必要を感じます。そこで、これらの駐車場をSNSなどで積極的に位置情報や空車情報を利用しやすいように発信して観光客がスムーズに来れるようにすることは大変重要なことです。昔から近江商人のようだといわれてきて、来る顧客の利便性など考えていない気質が根強く残っているような気がします。そこで、ロープウェイや唐戸市場、カモンワーフ、赤間神宮、亀山八幡宮、日清講和記念館、海響館、からっと横丁、ミュージアム、などの史跡や施設を関連させた観光コースとのセット料金などのチケットを販売できるようにし観光促進につなげていく必要があるようです。

市営赤間駐車場
赤間駐車場

下関の歴史的背景 

1.下関は北前航路の中継交易港として繁栄したことをはじめ地理的な特性から交通の要所として経済的に繫栄しました。他の地域からの人の流入で支えら、人、もの、金があつまった街だったようです。とくに歴史、文化の中心であった中心市街地では一旗揚げようとして出てきた起業家や労働者であふれかえり、最盛期には400軒をこえる問屋街があったようです。そんな中で地元で代々生まれ育った人が片隅に追いやられたことは容易に想像できます。関門海峡の激流のようなすさまじい経済活動と激動する時代の変化にほんろうされ、郷土愛を持つ人々が地域の伝統や文化を表立って継承できる機会など少なかったことも想像つくところです。やがて経済の衰退とともに下関の繫栄を支え他からやってきた人々はこの街を後にすることに未練などなく、次に発展する地域をめざして出ていきました。そして街の繁栄とともに栄えた産業や、賑わい勝手に花咲かせた文化を持ち去ってしまいました。そこで、新天地を目指すことなく下関に残った消極的な人たちに伝統や文化を継承する意欲など残ってはいませんでした。やがて衰退をきわめる経済の中でその余裕もなく穴が開いたように文化、伝統が失われたのでした。その結果、いまさら地域おこしのために希薄な認識しかない伝統や文化、歴史を観光に結び付けようとしても熱意や継承した経験のない人の心が観光客の心に届くはずがありません。つまり幼少のころから繰り返し聞かされたり自慢できる地域の文化や伝統の継承をいろんな形で受けとめて育たないと地域の郷土愛に支えられたアイデンティティはそう簡単には人の心の中には育たないということです。

2.下関市は合併を繰り返したために街や歴史的遺跡が多く点在することになり、これが伝統や文化などが継承できにくくしている原因にもなっています。また、地理的な特性で努力することなく経済が発展したおかげで、商品やものをアピールして情報を発信することをしないばかりか、やってきてくれる顧客のニーズや利便性などかんがえずに、まるで近江商人のごとくプライドの高い商売人となっています。その例が下関で開かれるイベントに良く現れています。大々的にはじめた海峡祭りにみてとれます。その当時ばらばらに行われていた「先帝祭」「源平船合戦」「源平武者行列」「八丁浜総踊り」などをゴールデンウィークにする提案が出され「海峡祭り」となりました。しかし、見る側の観光客のことなど考えず同じ日にすべての祭りの花火をあげたのでした。各団体がまともに話し合うこともなく、市や商工会も取りまとめる役割や責任を回避していました。もちろん駐車場などやって来る人のことなど考えることなくチラシをばらまきました。これを見に来た観光客もどれをどの順番で見たらいいのか戸惑いました。さらに各団体がばらばらに寄付金を集めて回り3度も4度も寄付を要請された地元商店も戸惑うばかりでした。海峡花火大会も、下関は大渋滞にまきこまれ高速道路から降りる前に花火大会が終わるという人たちが続出していました。

 本来は平地も少なく海まで山が迫り周りを海に囲まれ人の往来や交通に恵まれてはいません。しかし天然の良港にめぐまれ捕鯨や遠洋漁業の基地として栄えたのですから、それらが衰退すれば街に元気がなくなるのも当然ですが、観光という新たな産業を盛り上げていけばかつての賑わいを復活できる海産物や景観、歴史、地質学的に奇跡が重なってできた魅力ある街だと信じています。